親の影響から離れるための映画だ

ちょっといまさらな話題ですが、史上まれなほどの酷評を浴びているアニメ映画「ゲド戦記」、私たち夫婦もちゃっかり見にいきました。

冒頭、王子アレンが、父である王を殺すシーンがあります。
 
映画そのもの出来は、とりあえず置いておいて、原作にはない、酷評の最大の理由ともなっているこの意味不明の親殺しのシーンが、僕にはどうしても、監督であり息子・宮崎吾朗自身の“偉大”な父・宮崎駿に対する思いのように感じてしまいました。

ちなみに、夢判断では、親を殺す夢というのも、けっして危険なものではなく、「親の影響から離れ、自立する(したい)」という、前向きな決意が込められているといわれています。

監督・吾朗氏にとって、子供の頃、アニメ制作に多忙を極めてきた父のことを理解する唯一の手段が、父のつくった映画が見ることであった、というような記事を週刊誌で読んだことがあります。近くて遠いお父さん、だったのかもしれません。

この映画は、一人の若い監督が、目に見えないほどの父親の強い影響力から離れるためにどうしても必要な映画だったのではないか、じつはそういう意味とメッセージがこの映画には込められているのではないか、というようなことを考えていると、なんだか不思議と、ほっとしたのでした。