校正の奥深さ

つくづく、校正という作業の奥深さには、驚かされます。

複数の人間が何回も、ひょっとしたら何十回も読んでいるはずなのに、最初の一文の「思っている」が「思ている」になっていたり、表紙のタイトルの「MESSAGE」(メッセージ)が「MASSAGE」(マッサージ)になっていたり、夜中の3時くらいにこうした「発見」をしては、一人きりの仕事部屋で「おおおっ」と叫んでしまいます。

校正とは、本や雑誌、新聞といった印刷物の誤字脱字などの誤りを見つける仕事で、ホノカ社で本をつくるとき、僕自身もこの校正作業を徹底してやっています。

ひとつくらい誤字や脱字があったところで、本の中身には関係ないのかもしれませんが、ひとつのミスがその本全体の信頼性に影響することを幾度も経験してきました。「神は細部に宿る」という言葉を胸に秘め、締め切り前の数日間、僕は、地味で緻密で、ひとつのミスも見逃さない、完全な「校正者」に変身します。

とはいっても、プロではないので、その分、チェックする回数を増やすことで、なんとか補うことにしています。そして、何日もぶっ続けで文字を追いかけ、夢の中でも校正しているくらいに頭がカスカスになり、「さすがにもうこれで大丈夫だな」と思った頃に‥、最後の儀式として「神だのみ」ならぬ「天使だのみ」をします。

「大天使ガブリエル! もし、この本の中にまだミスがあれば、教えてください」

と心の中で叫びます。もちろん、こうしたからといって「ここが変だ」と教えてくれるわけではありません。自分の安心を増すひとつの儀式のようなものといえるかもしれません。

それが今回、校正していた本でも、このささやかな儀式の後、いいかげん寝ようとした午前5時のこと、片づけようとつかんだカップのコーヒーを、校正紙にこぼしてしまいました。

あわてて拭いていくと、そのコーヒーがかかった部分に、見つかる、見つかる、誤字や脱字や重大な記載ミス。

天使はやっぱりいるんだなあと思うと同時に、もっと校正の腕を磨かねばと思った出来事でありました。