テレビドラマ『薔薇のない花屋』で

「君のやさしさは、すべて作り物だ」

と、こんなややきつめのセリフを耳にしたのは、『薔薇のない花屋』というテレビドラマでした。

言葉や行動はしばし、裏返る‥‥。

ということを実感したのは、僕が大学生時代に、学童保育のボランティアをしていた頃のこと。

根っからの子ども好きであった僕は喜んで参加していたのですが、大変だったのは、活動そのものよりも学生ボランティアを集めることでした。

まずは体験で一日、参加してもらうのですが、活動場所が遠いせいか、雰囲気になじめないのか、あの手この手で毎日のように新人さんを連れていった記憶があります。

そして、ちょっとイヤミなことを書いてしまうと、体験だけで終わる学生はきまって「また、来ます」と言い、なんだかんだ居着いてしまう学生は、何も言わないでまたひょっこり現れる、というのが常でした。

これは、日本人独得の配慮なのかもしれませんが、言葉が裏返ってしまうということがあるのだな、とも思っていました。

さて、冒頭で紹介したテレビドラマ『薔薇のない花屋』では、香取慎吾が演じる花屋の主人が、とにかくやさしい人として登場します。

そのやさしさの裏には、つらい生い立ちが隠されていて、たしかに「すべて作り物」のやさしさではあるのですが、それでも、花屋の主人は、登場する人たちすべてを、そのやさしさで包み込み、相手の人生すら変えていくのです。

出会った誰かに癒しや変化が訪れたのだから、作り物でも、本物でも、やさしさはやさしさに代わりないのではないか‥。

ドラマを作った人たちは、こんなことを伝えようとしている気がしました。

作り物のやさしさも、二度、三度、と裏返していけば、本物になってしまうのかもしれません。