そして自分が想像する未来

たしか、小学生の頃に、図画工作の授業で「未来を想像して絵を描こう」という時間がありました。

当時のSF映画かマンガの影響か、高層ビルが立ち並び、人々が天空で生活しているような絵を、皆こぞって描いたかと記憶しています。

ところが、最近の小学生が描く「未来の想像図」は、まったく異なるのだとか。

高層ビルが立ち並ぶなんてことはなく、むしろ真逆で、緑に溢れた森のような景色の中で暮らしている、まるで縄文時代のような絵が多いのだとか。

そういうSFマンガでもあるのか(いや、知りません)、教師陣がそういう誘導をしたのか(いや、そんなこともないでしょう)、いったいこれは何の影響だろうか‥‥、と考え、まったくわかりません!

ただ、現代こそ、未来が想像しにくい時代はないのではないかとも思います。それゆえ、子どもたちは、森林浴のような、本能にとって心地よい状態を描いたのでしょうか。

ちなみに、いま僕が「想像図」を描くとすれば、進化の末に、人間たちが不自由な身体を放棄した、未来です。

「意識体」として生きることで、病気や競争、物質的な争いからも解放された世界‥‥。

ちょっと桁違いな例を出すと、地球外知的生命体は、すべてこうなっている(肉体を持たない)と言われています。

人間が意識体となり、食事やオシャレやショッピングもなくなった世界で、いったい何を楽しみに生きているのか‥‥。そういう想像を描いてみたいとも思うのです。

ただ、もはやそれは、絵ではなくなっているのかもしれませんが。