どうしても必要な場所

以前、このエッセイでも触れましたが、強烈な頭痛に悩まされ続けた僕は、意外にもただひたすら歩くことで解消したのですが、それ以来、すっかり、散歩が習慣になりました。

朝、だいたい9時くらいに起きて、およそ30分間、ちょっとだけデューク更家気分で、近所を練り歩いています。

住宅が密集した地域で、とくに気持ちよい景色などありませんが、同じ時間に同じ道を歩いていると、「いつもの光景」というものができてきます。

毎日同じ公園のベンチで、ぶ厚い小説本をすこしずつ読んでいるおじさんや、喫茶店の窓際席から外を眺めている出勤前のOLなど、おのおの、居心地のよい場所を見つけている姿が眼に入ります。

この午前9時前後の、学校が始まるぎりぎりの時間に、いつもの道の曲がり角で、必ず見かける女の子がいました。近所の小学生で、ランドセルを担いでいます。角を曲がれば、すぐ小学校の校門がありました。

この女の子は、この道の角で、いつも、立っていました。
いえ、立っているのではなく、ココロの準備をしているのだと、何日かして察しました。女の子は、ときおり、うつむいたまま、学校と逆方向に歩いていってしまうこともありましたが、だいがいは、この角でひとり立ち、何分もたってから、ゆっくり、ゆっくりと校門の方へ歩いていきました。

あの女の子にとっては、単なる道路の角が、学校へ行くために、どうしても必要な場所なのでしょう。

僕は、こうして思いをめぐらし、あちこち歩いているうちに、すこしずつ、自分の住んでいる町が好きになっていることに気付き始めました。

いつしか、あの女の子の姿を、見かけなくなりました。
きっと、今ごろ教室で遊んでいるのかな、と思いながら、今日も朝の散歩を楽しんでいます。