京都精華大学「自由・自治」の碑

僕の出身大学である京都精華大学(ちなみに中退)に、「自由自治」という石碑ができたそうだ。

そういう行動自体、すでに自由な発想ではないような気がするが、自分が在学していたころは、たしかに自由な校風でとおっている大学だった。

いちばんの自由さといえば、校舎のどこにでもビラを貼れたこと(これができる大学は、意外と少ない)。当時、僕は、学生運動まがいのサークルにいたので、PKO法案やらなにかあるたびに集会のビラを貼りまくっていた。

と、こうして何かを伝えるという手段が体にしみついていたので、やがて自分の文章作品を貼ったりしだした。ビラでは足りないので、冊子にして配ったりもした(じつに学生自治会印刷機が使い放題なのである。お金がかからなかった)。

教室から勝手に机をもちだし、廊下において自分の作品集を重ね置き、どうぞ読んでください、という試みもはじめた。

学生たちからいろいろな反応がかえってくるので、ありがたかった。ファンレターというものをもらったのも初めてだったし、読者とジカにやりとりできたのは、貴重な経験だった。

そのうち僕は大学を辞めて、フリーランスのライターとして活動するようになるのだが、そんなことに関係なく、いつの間にか、あの廊下の机は、えらいことになっていた。他の学生たちが自分たちの詩集や文芸誌、ミニコミを置きはじめ、十誌ほどがしのぎを削る場所になっていたのだ。

とにかく僕は、あの大学で自分の本を配ったりしていなかったら、物書きにならなかったかもしれない。そう思うと、進路というのはすごく重要だ。

それにしても、いまでもあるだろうか、あの、僕が勝手に置いた机‥‥。
非常に個人的ながら、あの机があるかどうか、またはそれに代わるなにかがあるかどうかで、わが大学が本当に自由なのかという尺度とさせていただきたい。

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