天使の歌声

 天使の歌声を聴いたことがあります。
 それは、僕たち夫婦にとっていちばん長い日となった真夜中のこと。

 朝からひどい雨でした。5年前の秋、妻の両親とともに僕の実家の富山へ車で向かっていたところ、高速道路でスリップ、まだ1歳であった息子・こうきは、後ろの窓ガラスを割って放り出されながらも、奇跡的に、片足の骨折だけで助かりました。

 といっても、深夜2時を過ぎても、病院のベッドで泣き続けていました。骨折した右足は特殊な金具でつり上げられ、体ごとベットに固定されていました。

 この子は、ほとんど体力も残っていないというのに、そのわずかな力で、もう十時間以上も泣き叫んでいたのです。妻もケガを負って薬を飲んでいた為、母乳を与えることができず、側にいた僕も、すでに声をかける気力すら失っていました。

 少し落ち着いて、やっと眠るかと思えば、また泣き出します。同室の子供たちも、この泣き声で眠るどころではないでしょう。どこか別の場所に移った方がいいんじゃないか、看護婦さんに相談しようか‥‥、そう思った頃でした。

 となりのベットの女の子が、小声で歌い出しました。何かの童謡のようでした。

 この女の子は小学三年生、3ヶ月前にダンプトラックに轢かれたとのことでした。壁に同級生の寄せ書きが貼ってありました。この子は眠れなくて、気晴らしに歌っているのだろう、僕はそんなふうに考えて、なんとなくその歌声を聞いていました。

 気付いたのは、ずいぶん時間が経ってからです。
 女の子は、こうきが眠れるように、歌ってくれていたのです。

 今日、この病室に担ぎ込まれた我が子の泣き声と、生死を彷徨うほどの事故に遭った少女の、天使のように澄んだ歌声。不思議な音の重なりの中、やがて妻もこうきも、となりの女の子もまとめて寝
 入っていきました。

 思えば、あの夜から、新米の親であった僕ら夫婦と生まれたばかりの我が子とが、ひとつの家族になるプロセスが始まったような気がします。