一生を左右する選択を

12月も半ばに入り、すっかり一年をふりかえる時期となりました。ちなみに僕は毎年、頬が真っ赤になるほど寒さが厳しくなるこの頃、ふいに思い出すことがあります。

4年前、僕は手記・自分史のポータルサイトと銘打った「ワタシネット」というWebサイトを運営していました。インターネット上で埋もれていただろう個人サイトの1ページを拾い上げ、著者の許可のもと、その手記などを転載するというサイトで、「転職」「結婚」「恋愛」「闘病」など、こまかくジャンル分けして、読者からの感想を受け付けていました。

ちょうどインターネットの浸透時期と便乗し、あちこちメディアに取り上げられたりして、けっこうなアクセス数がありました。そこで、僕は会社を辞め、無職となってでも、とにかくこのサイトの運営でひと山当てようとしていたのです。

そんな冬のある日の真夜中、届いた感想メールは、ごく短く、

「思いとどまりました。これを読んで、いろいろ考え、産むことにしました。ありがとう。」

というものでした。「中絶」カテゴリの一作品を読んだようでした。その作品は、中絶手術の前夜、産婦人科の待合室で、最後の別れに必死でおなかの子に絵本を読んで聞かせていた女性の手記でした。

産む、産まない、どちらにしても重い選択を、僕は自分が用意した場で行われたことに、とまどいながらも、はじめて経験するほどの、やり甲斐を感じていました。

結局、このワタシネットは、収益をあげるには至らず、2年あまりで閉鎖となりましたが、その間僕は、数百通もの感想メールを通し、たくさんの人が一生を左右するほどの選択を行うやりとりを、かい間見せてもらうことになったのです。

あれから4年。あの「思いとどまった」メールの女性やその子はどうなったなど、当然ながら伺い知ることはありません。けれど僕は、こうして冬がきて足早に街を歩くとき、きっとどこかにいるであろう4歳の子と、不意にすれちがったような錯覚を覚えるのです。