文章書きのルーツは日記

大学を中退してから約十年あまり、雑誌などのライターの仕事をしていました。取材にでることもありますが、毎日ほとんどの時間をえんえんと文字をつづることで過ごしていました。

こうして僕は自ら書くことを仕事に選んだわけですが、そのルーツといえるものは、小学二年生の夏休みにさかのぼります。

自宅の新築にともない、となりの小学校へ転校することになったのがちょうど夏休みのはじまる前日で、初登校していきなり夏休みの宿題一式を渡されました。
意外と少ないな、と子どもながらに思ったのですが、中にあったのは、不思議なことに、白紙のレポート用紙の束。

その小学校の方針で、通常の宿題は最低限に控え、生徒はみな、毎日その紙いっぱいに日記を書くことが決まりとなっていました。ところがそんなルールを知らなかった僕は、気がむいた日にわずか数行の日記を書くだけで夏休みを終えてしまい、9月初日、同級生みんなが、白紙だった紙の束を文字で埋め尽くして持ってきていた差に愕然としたのでした。

日記の宿題は、学期中もごく当たり前に続きました。僕は、懸命に日記を書いて提出することで、新しい学校になじもうとし、いつしか誰よりも長い日記を書く子どもになっていました。

転校した小学校が、たまたま日記に力をいれている方針だったおかげか、いまでも文章を書くことは何の苦でもなく、日々自分を見つめる時間を習慣とするようにもなり、今日にいたります。

あのとき転校していなかったら、自分はいま何になっていたのだろう、そんな空想にふけりながら、今夜も、つらつら文章を書いているのです。