“愛”がない原住民のはなし

 なにげなく見ていたテレビ番組によって、人生を大きく変えるような気づきをもらうことは、案外よくあるものです。

 もうすぐ2000年になるという数日前の1999年12月末、ある南米の原住民の村を日本人の女優が訪れるというテレビ番組を見ていたときのことです。

 その女優は、自分のこと、日本での生活のことを一生懸命伝えようとするのですが、通訳がうまく翻訳できないというのです。

 その理由はこうでした。その原住民の言語には「愛」や「幸福」にあたる言葉がなかったのです。あえて表現するなら「みんな一緒」とか「おなかいっぱい」という言葉になるらしく、つまり、彼らにはそもそも「愛」や「幸福」という概念が存在しないのです。

 言葉とは、いったい何なのでしょうか‥‥。
 言葉が増えれば増えるほど世の中が複雑になって、ほんとうの愛や幸福というものがわかりにくくなっていくのでしょうか‥‥。

 物書きとして身を立てようとていた僕には、とてつもない衝撃でした。それ以来、飾り立てるような文章表現をやめ、言葉をシンプルに使うよう心がけていきました。

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 そして、もう少しで、記念すべき2000年という年になるという直前の夜のことです。ノストラダムスの大予言を本気で信じた10代を過ごしてしまった僕としては、この瞬間こそ、待ちに待った安堵の時でした。

 その時、これまたなにげなくテレビを見ていて、年の最後のヒットチャート1位がプッチモニの「ちょこっとLOVE」。絶頂期のモーニング娘の3人が短パン姿で「まる、まる、まる、まる」と踊る姿を目にして、ふっ〜と身体の力がぬけました。

 そして、これからきっと、すべて“まる”で、楽しいことばかりがあるにちがいないと、はじめて思うことができたのでした。

 シンプルなものだけが優れているわけではありませんが、気づきはつねにシンプルなメッセージなのだと、2000年から7年半たったいま、あらためて思うことです。