見慣れてしまった「太陽の塔」が

月に何度となく、岡本太郎の「太陽の塔」でおなじみの、万博公園大阪府吹田市)へと足を運んでいます。
ちなみに、僕の目的はサッカー観戦(Jリーグ)で、試合のたびに全国各地から相手チームのサポーターたちを見かけるわけですが、彼らが試合の終わりに、きまって写真に納めるのが、この「太陽の塔」なのです。
僕にとってはさすがに見慣れてしまった「塔」なのですが、いつも驚くのは、漏れて聞こえる、撮影している人たちの感嘆の声が、ひとつとして同じ言葉がないほど多様なことです。
どんなモノだったかなぁ、と思った方は是非、ネットで画像検索してみてください。
岡本太郎がつくったこの「太陽の塔」は、かっこいいわけでも、美しいわけでもなく、人でもなく、動物でもなく、顔はあるにはあるが、へんなところに3つもついている?!という、たまたま通りがかった幼児ですらも、見とれて動けなくなってしまうようなシロモノなのです。
全長65メートル、よくぞこんなわけのわからないものをこの大きさで作ったなあと今でも思うのですが、わけのわからないものだからこそ、こうして存在し続けているような気もするのです。
大阪万博終了後に取り壊す予定が、書名活動を経て永久保存がきまった経緯があります。)
ほんとうに人をひきつけるものとは、どうやら、美しいものでも、かっこいいものでも、わかりやすいものでもないらしい……ということが、僕自身、長年この塔を見ているうちに、ふむふむ、と考えてきたことです。
芸術は爆発だ」の岡本太郎が建てた塔とは、どうやら、今でもそれを見る者の思考に、ちょっとした爆弾をしかけ続けているのかもしれません。