甘美であたたかい、無

このエッセイコーナーで何度となく書いている話ではありますが‥‥、たとえば、どっぷり働きづめの日でも、30分ほど休憩をとるだけで一日の疲れがぜんぜんちがうように、人生でただ、一度、ほんとうの砂漠を見ただけで、その後の人生がかわるのではないか、と本気で考えた頃がありました。だから、僕は、20歳前の頃、大学を休学し、西インドの不毛地帯へとでかけました。
その旅の目的は、雑誌に紀行文を書くことでもあったのですが、実際に雑誌に掲載された文章は、バス旅行の過酷さであったり、現地で出会った人たちのことであったり、おもしろおかしく綴ったものでしかなく、つまり僕は、物書きのはしくれでありながら、砂漠に宿る何か、無限の景色に包まれたほんとうの心境を、その断片ですらも、コトバにできたわけではありませんでした。
ところが、それから二十年近く経過して、なにげない読書の中で、あのときに感じたものにもっとも近いコトバと出会ったのでした。
ちょっと長くなりますが、紹介させていただきます。

  ただひとつの息がある

  わたしはキリスト教徒ではない
  ユダヤ教徒ではない
  いいえ イスラム教徒でもない

  わたしはヒンドゥー教徒ではない
  スーフィーではない 禅の修行僧ではない
  いいえ どんな宗教にもどんな文化にも属していない

  東から来たのではない 西から来たものではない
  海や大地から生まれたものではない
  天界から来たものではない
  何かの要素からできているものでもない

  この世やあの世に存在するものではない
  アダムとイブのような太古の物語と関係はない
  いいえ わたしは何者でもない

  居場所は定まらない
  跡を残すことはない
  いいえ 私は体でもない魂でもない

  わたしは
  愛している
  あの人のなかにいます

『ルーミー その友に出会う旅』より VOICE刊
 エハン・デラヴィ著
愛知ソニア・訳 あらかみ さんぞう,重城通子・詩訳

これは、はるか昔の13世紀に生きた、イスラム神秘主義者であるジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩です。
日本でいえば鎌倉時代元寇が起こる少し前といった頃です。
僕はこの詩を読んだとき、二十年近く前に、一度だけ見た砂漠の景色を、ふわああっと思い出しました。
それは、無。けれど、甘く、あたたかい、無でした。
2013年最後のこのメルマガで、ようやくこの詩を紹介できたことを、うれしく思います。
さて、僕は、年末年始の休みに、ちょっとばかり仕事から離れ、何者でもなくなる時間を、楽しんでみようと、いまからワクワクしているところです。

↓当時、綴っていた旅先のメモを、Webにあげてみました。
長編詩「荒野に望む」
http://honokasha.jp/20131206kouyaninozomu.html