ふたりのダメ男のはなし

まずは、ひとり目の男のはなしから。
中学を卒業して以来、日雇いの仕事をやったりやらなかったり。
友人ができても根っからの劣等感から、すぐ暴言を吐いてケンカ別れ。女性を欲望の対象としか見られず、なけなしの金で風俗通い。安アパートの家賃すら払えず、ウソと、土下座でごまかしながらも、引っ越しをくりかえす日々。
そもそも、11歳のときに父が犯罪者となり、一家離散からはじまる人生の転落。中卒のキングオブ劣等感、ひたすら卑屈な生き方だけをしてきた、無頼にすらなれない徹底したダメ男‥‥。
ただ、そんな彼の唯一の趣味は、読書でした。いつしか彼は、小説を書き始めることで人生を逆転させ、「表舞台」にあがってくるのです。
クイズ番組「Qさま!!」に出演したりしているので、ご存じの方も多いかと思います。私小説苦役列車』で芥川賞をとった西村賢太氏のことです。
最初、よくこんなダメ男の話が日本最高峰たる文学賞を受賞させたものだ、と不思議に思ったのですが、1ページ読むだけで、その謎もとけました。
僕自身、まったく共感できない生き方の作家であり、作品なのですが、その文章の切れ味に、ただただひきこまれます。ありのままのすごさというものが、言葉の端々に、何重にもたたみ込まれているのです。
彼が書くものとは、徹底して私小説、つまり自分のことだけを、ありのままに書いた小説です。


 しかし彼は、そんな状況にあるからこそ、
 小説を書いているのである。
 自身をあらゆる点で負け犬だと自覚すればこそ、
 尚と私小説を書かずにはいられないのである。

             『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』より


ダメ男の人生を逆転させたものは、そのダメな生き方そのものだったという事実。これは、どこかくすぶっている、すべての人に通じる、光ではないでしょうか。


いま、オリンピックをまたぐようにして、もうひとりのダメ男が、世間をにぎわせています。僕は、その男を、一度だけ遠目から見たことがあります。
満席のコンサートホールで、すさまじい拍手を浴びながら、どこか恥ずかしそうにおじきを繰り返していたのは、「この交響曲は、私が作ってはいない」という思いが、たとえ一瞬でもよぎったからなのかどうか(いや、そんなこともなさそうですが‥‥)。
僕自身、CDもすべて買って聴き、自伝も関連本もすべて読み、このエッセイコーナーでも紹介し、中止になったコンサートのチケットまで、しっかり入手していました。
すべてが明らかになった今、ウソのタワーマンションといえるほどの虚構のレベルの高さに、もう笑ってしまうしかないくらいの心境ですが(自伝も95%くらいウソ)、さらには、もはや犯罪者であることも免れないとはいえ、この希有なダメ男にも、多くの人を巻き込むほどの、なんらか強烈な魅力とビジョンがあったのは、確かなのかもしれません。
何年後でもいいから、このダメ男にこそ、今度こそありのままを記した本を書いてほしいと思う次第です。
残された美しい音楽を、この先ずっと残していくためにも。