想像を絶する列車の旅・三泊四日

「想像を絶する」という言葉を聞くたび、個人的に思い出すのは、二十歳の中国旅行で、切符が安かったから、ということで思わず二等列車に乗ったときのこと。西安からタクラマカン砂漠の入口の町コルラまでの三泊四日、固い座席に座りっぱなしでした。

じつは、座れるのはまだいいほうで、車内はまるで家畜小屋のように混んでおり、“想像を絶する”ことばかりの時間でした。

トイレはたえず使用中、しかも、ひとつの便器に数人が同時にお尻をだしつつ、タイミングを見計らい、かわるがわるウ○コを垂れるという、便所までも「相席」(しかし二日目には慣れます)。

睡眠は、意外と快適で、かならず誰かの背中などをベッドにします。もちろん、自分がベッドになることもあります。

通勤電車並の混雑だというのに、売り子がワゴンを強引にひいてやってきます。お弁当やビールを売りにきて、乗客たちはたえず何かを食べていて、トランプをして、歌を歌い、疲れたら眠るのでした。

最初はどうなるのかと心配ばかりだったものの、ああ、なんとか過ごせそうだ、と思った三日目の夜のこと、何の前触れもなく僕の両足が痛みだし、すぐにたえられないほどの激痛にかわりました。

痛みが増すし、全身汗だくになりつつも原因を考えてみると、単純なことに、三日間座りっぱなしだったから、足に血がたまっていたのです。

顔なじみになった乗客たちの中で、僕は逆さ吊りにされ、早く血を循環させるため、オバさんのエアロビクスみたいに、高くあげた足をぐるぐる回すということをさせられながら、感動の終着駅をむかえたのでした。

二日後、今度はバスでタクラマカン砂漠へ向かったのですが、その先の砂漠で僕は人生をかえるほどの景色と出会います。十年後、その風景をもとにひとつの物語を書きあげ、それは自分のすべてを注ぎこんだ本として出版することができたのが去年のこと。

思えば、なんとなくあの列車にのったことが、十年後の転機への布石であったような気がして、当時の自分の無謀さと好奇心に、ふいに感謝したいと思うこのごろなのです。