長文詩「言葉を失う夜に」

 今日も電話が鳴らない
 文章を連ねるだけで過ぎ去ってゆく日々
 一日部屋にいただけで
 ずっと穴蔵に閉じ籠もっていた気がする

 友達に電話をかけてみる
 無機質な女性の声 テープの音
 僕のお掛けになった電話番号は
 現在使われていないらしい

 また一人 友達がいなくなった
 みんなに借金してたあいつ
 もし借金を踏み倒すために
 黙って実家に帰ったのであれば
 一人ぼっちで帰る寂しさはどんなものか
 荷造りするとき
 トラックを呼ぶとき
 何もない部屋で眠る最後の夜
 故郷への電車に乗るとき
 ずっとその寂しさが
 つきまとったのではないのか
 借金なんて どうでもいいのに

 電気を消して寝た
 どうしたんだ
 今夜は ほのかに明るい
 窓から見上げた空に月

 毎日毎日 売れない小説を書いていた
 僕は自分で本を作り
 裏表紙に住所と電話番号を載せ
 あちこちに配っていた
 ある日
 いのちの電話の番号がわからずに
 僕のところにダイヤルした人がいた
 その夜 何時間話しただろう
 僕は
 今日まで逃げなくてよかったと思い
 それから時間という時間を
 そんな人への言葉を連ねようと決めた
 いのちの電話にすら
 見捨てられた人たちのために

 何もない夜
 突然の電話
 知らない女性の声
 ごめんなさい
 いきなり謝ってくる
 眠れないだけじゃなくて
 震えも止まらないの
 怖い
 はじめて電話しました
 ごめんなさい
 
 彼女は
 いのちの電話にかけようとした
 でも番号がわからなかった
 どうしようもなくなって
 目に入った本の電話番号に夢中でかけた
 それが僕だった
 彼女は何も話さない
 何を聞いても返事がない
 お互いの吐息が電話線を走る
 僕のあせりが汗になって額を走る  
 何を言っていいのかわからない
 僕には言葉なんてなかった
 だから とっさに
 本棚から一冊の本を取り出し読み上げた
 今度はね
 哀しかったりした人がいたとき
 私はこうだったよって話してあげられるよ
 この本を続けて読んだ
 印を付けていた行をもっともらしく読み上げた
 なんとか時間が過ぎていく

 もう深夜だね
 もう寝た方がいいよ
 眠れるうちに眠っておこう
 明日はまた 踏んだり蹴ったりされて
 悔し泣きしなくちゃならないんだろ
 いま僕の部屋からは月が見えるんだ
 君の部屋はどうだい

 夜
 彼女からの電話
 あたしのこと覚えてる?
 もちろん
 覚えてる
 でもまだ名前は聞いていなかったね

 彼女は自分の悩みを語った
 とにかく一日を終わらせることで精一杯なの
 カミソリの上で生活してるみたい
 ひたすら落ちてくの

 僕はまた 本棚から取り出した本を開く
 感情には表面張力があるんだ
 それを崩すのは
 たった一言の言葉かもしれない
 だからまず人の話を聞くんだ
 そうだろ そうだったろ
 人を恨んでる間は
 立ち直れないんだって

 苦しみの中でしか生きることができない彼女に
 投げ掛ける言葉はなかった
 だから僕は本を手にとり
 いま考えたようにしゃべる
 まるで彼女だけへのメッセージのように
 この試みが 失敗か成功かわからない
 いつも本を開き 自分の言葉のようにしゃべる
 名前すら知らない彼女に
 何も話そうとしない彼女に
 僕ができるのは 本を読むだけ

 君が悩み考えてることは
 ぜんぜん恥ずかしいものじゃない 
 だって君は
 人の不幸と自分を比べようとしないじゃないか
 なかなかできることじゃないよ
 必ずいつか 君に照り返して
 力になるものだよ
 またすぐに 泣いたり笑ったりしよう
 しばらくして
 うん
 と透き通った返事
 はじめて本当の声が聞けた気がした
 電話の向こうは きっと精一杯の笑顔だ

 一冊の本がボロボロになり
 何度目の電話だったろう
 彼女は明るくなっていた
 僕はやっと 本当のことを告げた
 ごめん
 いままで僕がしゃべったことは
 みんなこの本に書いてある
 ウソついたようなもんだよね
 ごめんね

 なのに彼女はいつもの小さな声で
 ううん
 おまじないみたいだったよ
 いままでありがと
 たとえウソだったとしてもいいの
 どんなウソだって
 100パーセントのウソはないって
 あなたが言った
 いままで私もつらかったけど
 話を聞いてるあなたもつらかったよね
 いいや そんなことないんだ
 力を与えられた気がした
 僕はどこかに
 君と分け合うだけの力が
 残っている気がした
 もう絶対に がんばれなんて君に言わない
 僕に言われなくても
 君は全力だったんだ
 暗くて寂しそうだったけど
 いつだって君は
 全力だったんだ

 僕たちはそれから
 初めての夜のように 何時間も話した
 無邪気に 笑いながら
 ずっと受話器を握って
 楽しかった
 ずっと笑ってた
 楽しかった
 楽しかったよ

 あれから彼女の電話はない
 秘密を秘密とすることで
 僕と話ができたのだろうし
 何もない夜
 一冊の本がボロボロになり
 今日も電話が鳴らない