路上の花園

 大学を中退して仕事をしていなかった頃のこと、アジアのストリートチルドレンを援助するNPOの事務所へ通って、書類や会報づくりなど手伝っていました。

 おおよそ週1回のペースで2、3年ほど。その事務所は、大阪府池田市にありました。大阪駅から阪急電車に乗り換え、池田駅で降り、駅前どおりの花屋の角をまがってまっすぐ進むという道のりを、毎週のように歩いていました。

 やがて、僕は就職すると、毎日が会社との往復となり、その道を歩くことはなくなりました。

 それが、2001年の初夏のこと。

 1歳の息子が遊びざかりとなり、ひさびさの休日にどこかへでかけようと話していたら突然、どうにも立てないほどの倦怠感におそわれ、ついには立てなくなってしまいました。

 よくこのエッセイのコーナーでも、何度か似たようなエピソードを書いてしまうのですが、このときの痛みは、全身にのしかかってくる壁が見えるかのような、強烈なものでした。

 理由もわからないまま、なぜこんなに苦しまねばならないのか‥‥、とひたすら頭を抱えていたとき、不思議なことにふと頭に浮かんできたのは、数年前の一時期に通った、池田駅からの道のりだったのです。

 大阪府池田市。小学校での無差別殺傷事件が起きたところです。

 僕が寝込んだこの日は、事件がおきて1ヶ月ほどたっていました。「あの小学校まで花をもって行こう」と思いつくと、ようやく立てるようになり、妻と赤ん坊の乳母車を押して、出かけていったのでした。

 いつも通りすぎていた駅前どおりの花屋で花を買うと、何も話していないのに、スタッフの女性は小学校までの道のりを教えてくれました。

 15分ほど歩いていくと、そこには、小学校の門をとりかこむように、たくさんの花が供えてありました。まるで花園のように。

 これまで一度も天使の姿など見たことはなく、いまでこそ天使の本やカードの制作に携わったりしていますが、当時はそんな兆しなどまるでなく、けれどこのときはたしかに、学校全体を取り囲むほどに、無数の天使が飛びまわっているのが、はっきり感じられたのでした。

 人間が人間でなくなるほどの不条理に対して、私たちができることは、花を供えるくらいのことかもしれません。けれど、そんな不条理を越えるほどの言葉や行動が見つけられないだろうか、あの日以来、いつも、そう考えているのです。