深夜4:44

当社で販売しているドリーン・バーチューの本を読んでいると‥‥、「4」は天使の数字、とよくでてきます。時計の4:44を見る度、なんとなくほっとして、そろそろ寝ようと腰をあげ、事務所の鍵をしめて近所の自宅へと自転車を進めるのが常です。

4:44といっても、夜から仕事や執筆作業することが多いので午前の方です。この、深夜なのか朝なのかよくわからない時間には、ほとんど人と出逢うことはなく、この世界でひとりになったような気分になるときもあります。

それが先日のこと、その帰り道で、車にひかれたであろう、猫と出会いました。口から血を吐いており、ぴくりとも動きません。僕は眠く疲れていたこともあり、これ以上遺体が傷つかないよう道路の脇に寄せただけで、帰宅したのでした。

ところが翌朝、目が覚めてすぐ思い浮かんできたのは、昨夜の猫のことで、ちょうどいま「死を待つ動物たちの家」というタイトルの本を制作中でした。そこには、同じように道ばたで死んでいた猫を葬るというシーンがあります。

僕は自分が書いた物語と同じ場面に遭遇したわけで、何か運命的なものを感じつつ、朝起きてすぐ、昨夜の道路へと歩いていくと、猫の遺体は、まだ同じ場所にありました。
「‥‥イタチやな」一緒に連れてきた小学3年生の息子が、のぞき込むなり、驚いたようにこう言いました。たしかに、よく見ると、猫くらいの大きさでも顔つきが独特で、これは住宅地の片隅でひっそり暮らしていたであろう、イタチでした。もちろん、この町で、イタチを見たのは、初めてです。

空き地に埋めて、手を合わせました。動物であれ、埋葬するという作業は、ひとつの命のしめくくりに立ちあうだけあって、特別な意味合いを感じます。

ひょっとしたら、夜行性であるこのイタチは、いつも深夜に走りまわって身体を動かしたり、生きるために食べ物をあさったり、たまに、帰宅していく僕を、どこからか見ていたのかもしれない。ひょっとしたら、この町で唯一、なじみのある人間の僕に葬られることを望んで、昨夜、路上で出会ったのかもしれない……。

ふと、そんな想像をふくらませていたとき、もう何年もほとんど友人つき合いもなく、夜通し仕事をしてきた僕にも、“同士”がいたように思い、この世界でひとりになったような気分になることも、なくなっていくような気がしたのでした。