取り組んできたことを、自分でひっくり返すこと

いま僕がやっている仕事は、スピリチュアル関連ばかりですが、社会のこと、政治や経済にも興味を失わないようにしています。そして昨今でいえば、金融不安や総理辞任など、大きなニュースを目にするたび、「学生の頃なら、〜していたなあ」と思う日々。
学生の頃はノンフィクションライターを目指していたこともあり、「社会科学研究会」というサークルに所属していました。このおカタい名前のとおり、政治、経済、社会問題に関する勉強会を開いたり、署名活動やデモに参加したり、という集まりでした。
そこで、強烈に印象に残っているのは、選挙制度を専門とする大学院生を招いた勉強会でのこと。比例代表とか繰り上げ当選とか、複雑なしくみを長い時間をかけてていねいに解説してもらったのですが、最後のおひらきの瞬間にぽろりと彼が言ったのは、

「こんなに説明をしなくてはいけない制度で、私たちの代表を決め るのはおかしい」
自らの専門分野を全否定するような、ちゃぶ台がえし。それでも学びと研究の末にたどりついた、結論のようでした。
ずっと自分が取り組んできたことを、自分でひっくり返さねばならないことは、案外あるものです。僕は文章を書くことを、仕事でも、趣味でもやっていますが、四百字詰めで数十枚、ときには数百枚の原稿を書きつつ、やっぱりこれは使えない、ということが何度となくあります。
誰かに負けたわけでもなく、かといって自分に負けたというわけでもなく、虚無感で1週間ほどボーとするしかありません。
それがつい最近、そんなときのために、もっと早く出会っておきたかったなあ、と思う言葉を見つけました。

 自我(エゴ)は、
 何かを成し遂げよと迫るが
 魂は、そのプロセスを楽しもうと促す。

まったくもって、僕は「成し遂げる」ことだけに取り組んでいたのでした。そう気付くと、ふっと、身体のあちこちの力みがとれていくのを感じました。
きっと、いままでためこんでいた虚無感を放出していたのでしょう。まるで呪文を解かれたよう。自分でかけた呪文を自分で解いたような感じです。
あの選挙制度を専門とする大学院生の方も、長い説明をした末に、ふと、これと同じような気付きを得ていたのではないか、と今頃になって思いました。
プロセス自体を楽しむ、これが今の僕の、新しいテーマになっています。