もっとも走りにくいキャッチャーが全速力で

小学生の頃、家族で名古屋へ旅行にでかけたことがありました。
メインイベントは、名古屋球場でのプロ野球観戦です。当時の田舎の男子小学生の興味といえば、ほとんどプロ野球くらいしかなく、僕も例外にもれず、毎夜、巨人戦をテレビで観ていました。
そして、生まれて初めて都会に出て、生でプロ野球を観戦したこのとき、テレビではけっしてわからなかった動きに、感動して帰ったことをよく覚えています。
僕ら家族は、一塁側の席に座っていました。内野ゴロでボールがファーストに投げられるとき、キャッチャーのその裏に走りこむ姿が何度も見えました。万が一、ファーストがボールを反らしてしまったときのバックアップです。
ボールが反れる確率はほとんどゼロ、それでも、全身にプロテクターをつけた、もっとも走りにくいキャッチャーが、全速力で、グラウンドの隅をかけていくのです。
それがなんともかっこよく見え、僕は、中学生になると、野球部‥ではなく、陸上部に入りました。

それから二十年、いま僕は、雑誌や本を作る仕事をしています。万が一あるかもしれない誤字脱字を見つけ出すために、月に何度かは、印刷前の誌面を広げて徹夜しています。
深夜5時くらい、ひたすら文字を目で追っていると、耳元から、「もう、いいじゃねえの」という悪魔?のささやきが、聞こえてきますが、そんな声を振り払うときはいつも、あの日見たグラウンドの隅を必死で走るキャッチャーと自分とを重ねるのでした。
「小さい頃のひとつの気付きが、人生の基本になっている」といえば大げさかもしれませんが、あの日、家族旅行で名古屋球場へ行っていなければ、僕の人生は変わっていたのではないか、とも思うときがあるのです。