長い旅を終え、ふいに帰省したとき

二十代のころ、ライターとしてアジアの国々を回っていました。旅先はいつも、片言の英語すらも通じない辺境地帯で、当時の僕には、世界がどこまでも広がっているということが、ただただ、新鮮でならなかったのです。生まれ育った富山の田舎が、ひどく小さなところに感じられました。

それが、ひとつ旅を終えるたび、無性に故郷へ帰りたくなりました。我が家の居間に飾ってあった一枚の風景写真に眼を奪われたのは、長い旅を終え、ふいに帰省したときでした。

幽玄な森‥‥。生き物のように枝を突きあげるブナの木々に柔らかい光が差込み、自然の力強さと優しさを無言で語る景色。それは、定年間近になってカメラを趣味とし始めた父の写真で、南砺波市南西部・五箇山地区にある父の実家の裏山で撮ったものでした。

あちこち世界を旅して、息をのむほどの美しい風景などいくらでも見てきたつもりだったのに、一番心を突かれたのは、父の田舎の、しかも家の裏山の景色だったことに、なんだか、天に仕組まれていたような驚きがありました。

実家の周辺は、本当に山ばかりで、猟師の散弾銃の音が聞こえたり、熊が捕まったと聞いて見に行ったりもしました。幾重にも連なった山々が、天気によってはきれいに浮かびあがり、生き物のように毎日変化して、家の前の緑の山々が、いつもちがう緑色に見えていたものです。

「山ではなぁ、よくうさぎとったり、ヘビとったりしたんだ。青大将はまずかったが、マムシはうまかった」

父が独り言のように昔話を語りだす姿を思い出します。

定年後に父が、なぜ突然、写真を始めたのか、今ではよくわかります。きっと、少年時代の父は、毎日のようにあの山を駆け回っていたのでしょう。オモチャもテレビもなかった頃、山が唯一の遊び場で、山の中こそが、無限に広がる美しい世界だったはずです。

父の姿を見ていると、人は幼い頃に見た景色とともに生き、年老いていくのだと思え、そして、田舎を離れて暮らす自分に、遠くないいつか、シャケが川に帰るように、自分の“景色”がもてるときがくるのだろうかと考えるのでした。