『スピリチュアルな人生に目覚めるために』を読んで

江原啓之さんの自伝的な要素がある本『スピリチュアルな人生に目覚めるために』(新潮文庫)を読みました。

特に印象に残ったのは「シッティング」と呼ばれるセッションです。簡単にいえば、座っている相談者を観ただけで、「最近、子どもを亡くされましたね」と、相談事を言い当てるというものです。

「最初に相談者から情報を聞き出していては霊能者の意味がない。まず、相手が座っているだけで読み取れることを伝え、霊的世界があることをまず実証させなければならない。」

霊能者は、聖人でも生き神でもなく、職人であり、技術者である、という信念が伺い知れます。

テレビで見かけるおだやかな印象とは裏腹に、霊能分野の先駆者として今に至るまでの、一人の人間としての苦悩がつぶさに綴られています。これまで無数の批判を浴びてきたであろう、その大変な日々の中でも、「見えないもの」に携わる者としての信念を貫いてきた心の強さを感じました。

ちなみに、若い頃の江原さんは、憑依体質であった自分をなんとかしようと、霊能者めぐりをしている中で、自分の指導霊が、戦国時代の高僧、昌清之命(まさきよのみこと)であることを知ります。

大学生の頃から、ガードマンのアルバイトをしていたということですが、自分の指導霊たる昌清之命が御所の警護をしていたこととも関係があるとのことです。

指導霊とは、守護霊(ガーディガン・エンジェル)とはちょっとちがって、自分の職業や才能を導く役目を持ち、医者には医者の、芸術家には芸術家の霊がついているといいます。『オーラの泉』を観ていた方はよくご存じかと思いますが、外国人の霊魂であるケースもあり、たとえば、英会話の講師にはよくイギリス人の指導霊がついているのだとか。

そこで、僕にはどんな指導霊がいてくれるのだろうかと思い立ち、眠れない深夜に、「どうか、教えてください」と、天にむかって聞いてみました。

物書き稼業ゆえ、文書の記録官とか、旅する俳人のような人物を勝手に想像したのですが、イメージとして現れてきたのは、光ひとつ射し込まない、暗い庵のようなところでたった一人、幽閉されている政治犯みたいな人物でした。

小さな穴から一日一度、食事と水だけが与えられるだけの日々‥。けれど、その底知れぬ闇と孤独の中にあって、ひとすじの光のような真理を見つけたイメージが浮かんできました。そして、「あなた(僕)は、この現世で、その真理を形に残すのが役目だ」と。

眠れない深夜の思いつきで聞いてみただけだったのですが、やわらかい光に包まれたような、貴重な経験となりました。

ちなみに、我が指導霊がひとつ助言してくれたのは、「最近、あなたは運動していないから、もっと身体を動かしなさい」とのこと。我が指導霊様も生前はきっと、狭い庵でずっと運動不足だったんだろうな、と勝手な想像をしてしまいました。

というわけで、今日からウォーキングメディテーションを再開しようと思っています。