中国奥地の砂漠を旅して

二十歳、砂漠にあこがれて向かった旅でのこと。中国は北京から古都・西安へ、さらに三泊四日の列車で西のコルラという砂漠の入口の町へ着いてから、僕はタクラマカン砂漠を横断しようと、朝一番のバスへ乗りこみました。
バスが動き出し、わずか数十分で町を抜けて何もない岩と砂だけの地帯に入ると、一人で「やばい!」と声をあげてしまいました。食べ物を何も用意していなかったからです。
何泊になるかもわからないバスの移動で、この先の砂漠に、売店などあるわけがないと気付いたのです。
とにかく何日か絶食になるかと思っていたら、向かいの男性が(その男性も僕も座席が取れず、せまい通路に座り込んでいました)、自分の肉まんを半分に割って「食え」というジェスチャーをしていました。
僕が食料をもっていないことを知ってかと思っていたら、そんなわけではなく、バスの乗客たちは、まったく知らない者同士、自分のパンや豆、果物を、まわりの者と分け合いながら食べているのです。それが、この砂漠のバスにおけるルールであるようでした。
おかげで僕は、二日かかったバスの移動で、まったく食べ物に困ることはなく、むしろ、たえず口をモグモグさせていたのでした。
以来、あちこちの国でバスに乗りましたが、このような経験はありません。おそらく、この分け合いのルールは、ラクダと徒歩で横断していた時代のおきてが、現代でも根付いているのでしょう。
奥地だったので、日本語はもちろん、英語もまったく通じませんでした。けれども、ほとんど誰とも話すこともないこの旅で、
 ‥‥食べ物がなくなるときは、みな一緒。旅する者は、みな仲間。
砂の風から、こんな言葉を聞いたような気がしたのです。