大学時代のころのはなし

大学を中退した後、何もすることが見つからず、結局、その中退した大学の学生たちがつくる演劇サークルに入って、毎日キャンパスに通っていました。

僕は新参者でしたが、プレゼンの結果、脚本と演出を担当することになりました。当時、この演劇に、自分の表現力のすべてを注ぎこむことで、なんとかその後の人生を切り開こうとしていたような気がします。

学生演劇とはいえ、俳優とスタッフは30名近くおり、公演も、プロが使う本格的な劇場をおさえていました。

ところが‥‥。

本番の数日前から、予想もしない事態の連続でした。役者もスタッフも次々に疲労で倒れたり、看板女優がいままでのうっぷんをはらすかのように、脚本・演出の僕に抗議文を提出してきたり。

公演初日となると、大事な場面で役者が小道具を落としたり、アドリブで失笑をかったり、半年間も稽古してきたというのに、いちばん大事な本番だけでしか起こらないミスばかり起こるのです。

僕にとっては、表現力で勝負するというはるか以前の問題で、自分も含め、学生独特の甘さとエゴが噴出した、ひたすら苦い経験となりました。

この半年がかりの失敗は、その後さまざまな仕事をするたびに、経験しておいて良かったなあと思うのですが、いまでも忘れないのは、不思議と、その夜のごはんの味です。

公演初日を終え、深夜に帰宅してようやく一人きりになったとき、くやしいのか、悲しいのか、おそらくためこんだ感情を吐きだすために、ポロポロと涙をこぼして、泣きながら遅い夕食をとりました。

自分にとっては、これがいちばん演劇らしいワンシーンだなあと思ったりしながら、顔をタオルでこすりつつ、ひたすら箸を動かしました。いつもの炊飯器で炊いたものなのに、このときのお米の甘さを、ことあるごとに思い出すのです。

人生の苦い経験は、涙とごはんの味とともに記憶の棚に整理されていくのではないか、というのが、今でもつづく自分なりの仮説です。