学校帰りの映画館

僕が高校生だった当時は、シネコンというものはなく、故郷・富山市のさびれた繁華街(矛盾しているようですが、街いちばんの繁華街がさびれているのです)昔ながらの映画館が点在していました。高校生の僕は、まるで部活動のごとく、授業が終わると映画を観て帰ったものでした。
地方都市の映画館というのは、今考えればすごいお得なところで、都会では興行収入ウン十億円といった話題作が、二本立てときには三本立てで上映されているにもかかわらず、平日の昼間、お客は数人が常で、ほとんど貸し切り状態という贅沢を、毎度のごとく味わっていました。
大学受験が迫っていた高校三年の冬、黒澤明の名作「七人の侍」のリバイバル上映を観たのも、そんなさびれた映画館ででした。
この日本最高峰の映画が、農民の映画であったことに、僕は驚いていました。
蔑まれ、搾り取られ、ただ耐えるしか生きる術がないような、もっとも弱い層の人々が、金字塔ともいえる映画の主役であり、躍動し、この世界の主役のようにも見えたのです。
不意に、いつも通っていた映画館で、価値の逆転と出会えたことを思えば、僕の高校時代の<部活動>も、良い経験になっていたかと思います。
映画館から出て、ごく狭い繁華街を抜けてから、一面田んぼのあぜ道を自転車を漕いで帰った日々が懐かしいです。
そして、いま。
<ウンコ>や<ゴミ>や<捕虜>などといったアダナで呼ばれ、目立たない中高学生を過ごしたお笑い芸人が、テレビのゴールデンタイムを席巻している姿を見ると、「逆転」は、映画だけでなく、現実に起こっているのだと、毎日のように思うのです。