一行という制約の中で

最近、「わすれないこと」というタイトルで、一行詩を少しずつ書きすすめています。幼い頃などの、印象的ないち風景を思い出して、一行という制約の中で、詩のような文章にするというものです。
たとえば、三歳のとき、家の前で遊んでいるうち、ふらふら歩いて迷子になってしまい、ぜんぜん知らない女の人が、僕の手をつなぎつつ、我が家まで連れて帰ってもらった、とか、こんなおぼろげな記憶を一行の詩で書き残す、という試みです。
と、この創作をしていると、いろんなことを思い出すのですが、本当に自分が見たことなのか、夢や想像で浮かべた光景なのか、定かではなくなっている<記憶>の存在に気付きます。
そのひとつが、大学生の頃、駅のホームで電車を待っていたときに目にした光景です。いえ、本当に見たのか、自信がないことなのですが‥‥。
ホームの端ぎりぎりの場所でうつむいていた女性に、おそらくは赤の他人であろう白髪の老女が近づいてきて、「雨がふりそうやねえ」と、なんでもないことを話かけている、というシーンです。
なぜ、これが記憶に残っているかというと、老女は背中が丸まっているほど老いているというのに、強い力でその女性の腕をがっしりとつかんでいたからです。まるで、線路に飛び出してしまおうとするのを必死でとどめているように。
と、このワンシーンは、本当に見たのか、夢で見るなりして自分で想像したのか、さっぱりわからなくなっているのですが、ときおり、ふとした折りに思い出す、ひとつの光景です。もちろん、もはやそれが事実か空想かは、僕にとってはどっちでもよく、この<記憶>を時折思い出すたびにいつも、人の心の美しさのようなものを感じるのです。