幼き日の父は、この山の中で

父の実家は、富山県の山奥の村です。僕が小学生の頃、父にせがんで山釣りに連れていってもらったことがあります。
「最後まで歩けるか? ちゃんと付いてこれるか?」と、出発してからも何度となくハッパをかけられたのですが、その訳は、釣りに行くというのに父は釣り竿を持っていないことに関係していました。もちろん、このときはわけもわからず、ただ父の後ろをついていくだけでした。
幼き日の父は、この山の中では、よくうさぎを取ったり、ヘビとったりしたそうです。青大将はまずかったが、マムシはうまかったとか。 
やがて、だんだんと道がなくなり、藪をかき分け、草をつかみながら断崖を這いずり、一歩足を滑らせたら間違いなく死ぬというような斜面を次々と越えていくことになりました。
こんな道なき道を歩きながら、余裕のステップで進む父が、明らかにある場所に向かっていることが、僕は子どもながらに感じていました。
さらに、またずいぶんと歩いた頃、僕は「うわっ、うわ」と、声をあげていました。頭から水しぶきを浴び、目の前には、一本の大きな滝があり、ドドッととめどもなく水を吐き出していたのです。
父が滝壺に潜って中をかき回すと、驚いた魚が引きつけられるように採れました。これが、父にとっての<釣り>でした。そこは、人が訪れない手つかずの滝で、おそらくは父と、父の兄弟たちの秘密の場所のようでした。
当時の僕はまったく感じなかったのですが、そんな場所を持っていることが、どんなに幸せなことかと、今にしてようやくわかってきました。
今頃、あの山は紅葉で真っ赤に色づいているはずです。そして、紅葉とほとんど同時に、初雪を迎えます。