世界そのものの見方も変わったはなし

僕が小学六年生の頃、父が始めた通信教育の教材として突然、我が家にパソコンがやってきました。
25年以上前のことなので、もちろんインターネットなど夢のはなしで、マウスもハードディスクもない、「無駄におおきな計算機」という代物でした。
そして、通信教育によくあるはなしで、父はほとんどそのパソコンには触れず仕舞いでしたが、代わりに当時小学生だった僕が、もてあましていた時間をすべてそそぎ込んで、コンピュータの基本を覚えては、プログラミングまで始めるようになっていました。
最初の目標は、ブロックくずしや、パックマンのような定番ゲームを自力でつくることでした。
ボールや敵キャラを動かしたりするような一連の動作はできるようになったものの、どうもゲームらしくならないな、と子どもながらに思っていたら、その通信教育の教材に、ある重要な要素を見つけました。
それは、「乱数」というものです。
その名のとおり、毎回ちがう勝手な数字をだしてくれるというコマンド(命令文)です
この「乱数」を使えば、サイコロを振るように勝手な数字をつくるることができ、敵キャラの動きが予想外になってゲームをゲームらしくすることができたのでした。
乱数が、ゲームの中の世界の物語をつくり、展開させていくのです。
そして、ちょっと大げさな飛躍なのですが、僕はこの「乱数」という観念を獲得してから、ゲームづくりだけでなく、世界そのものの見方も変わったのでした。
この世とは、はたして、すべて神がしかけた偶然なき世界なのか、それとも、乱数のような、本物の偶然が起こりうる世界なのか‥‥、小学生から今も探求を続けているテーマです。
思えば、「乱数」という観念を知ってから、僕は、まるで魂がアップデートされたように、スピリチュアルな分野へと足を踏み入れたような気がします。