あの村でご飯を食べたのは‥‥

居心地がよいカフェが、最低でも3軒はある町に住みたい、といつも思っていました。
幸い、うちの近所には、ちょうどよいカフェがいくつもあり、そのうちのひとつの、店内に流れる、しぶいジャスに耳を傾けていると、よく、十数年前に海外に行った頃のことを思い出すのです。
二十歳前後の僕は、若い頃にありがちな、世界と(勝手に)勝負しているイキリ具合で、あえて言葉も通じないような、アジアの辺境の地をうろついていました。
外国旅行でいちばん困るのは、食事だとよく聞きますが、こういう辺境の田舎では、言葉が通じないとか、一人で入りずらい、という以前に、看板なんてものはなく、どこが食堂か、カフェかもわからないという状況で、僕はあまりの空腹のために、とりあえず人が集まってごはんを食べているところに入っていったものでした。
最低でも3軒、と冒頭でふれたのは、旅先の町で、3軒ほどあれば、なんとかローテーションできて何日か過ごせる、という意味合いであったりします。
そして、いま、10年以上住み続けている町の駅前カフェで過ごしながら、ふいに、異国の旅先で、ごはん代を渡しても受け取ってもらえなかった出来事を思いだし、
「あのとき、あの村でご飯を食べたのは、食堂ではなく、ただ家族の多い家の庭先だったんじゃないか」
ということに、はっと気づいたのでした。