本当にやりたいことが、出てくるということ

時間割も授業もなく、さらにはテストも、クラスも学年もなく、ただ「子どもが、やりたいことしかやらせない」という、学校があります。
サドベリースクールというアメリカ発祥の学校で、ベストセラー作家の本田健さんが娘をこの学校に入れるために、ボストンに家族で引っ越したことでも知られています。
日本にも、このサドベリー系のスクールがいくつかあり、ある6歳の女の子が、通い始めて2ヶ月、自宅に泣いて帰り「自分がやりたいことが見つからない」と泣きじゃくったといいます。 (雑誌『プレジデントファミリー』2012年10月号より)
我々が経験してきた学校とは、あまりにも真逆で驚きですが、すべてが自由な半面、まるで卒業間近の大学生がようやく経験するような、「自分が本当にやりたいこと」に向かい合うスクールともいえます。
とことんフリーな環境におかれると、自分の深いところから、何かがモコモコと引っ張りあがってくるように、本当にやりたいことが、出てくるというメリットがあるのかもしれません。
自分の経験ですが、僕は小学2年生1学期の終業式をもって引っ越したおかげで、長い夏休みを、友達ひとりいない環境で過ごすことになりました。
おまけに、転校する予定の学校では、独特な方針があったようで、夏休みの宿題は、「毎日、日記を書く」ことだけで、その長く静かな夏休みに、何をした、という記憶もほとんどないのに、日記用の白いレポート用紙と向かいあったことだけは、よく覚えています。
やがて僕は<卒業間近の大学生>になってから、誰に頼まれたわけでもないのに、なぜだか必死に文章を書き始め、やがて、ライターという肩書きで活動できるようになっていくのですが、今思えばその原点は、小学2年の、あの、まっしろい夏休みにあったような気がします。
<何になりたいか>よりも<何をやりたいか>を考え始めたときに、はじめて人は、何者かになっていくのだとしたら…何もない空間や時間は、なんと貴重なものでしょうか。