ジェイソン・パジェットさんの例
まずは、実例から。
2002年、アメリカ・ワシントン州のタコバでのこと。
家具店の店員だったジェイソン・パジェット(31歳・男性)は、二人の強盗におそわれ、意識を失いました。
打撲と脳震盪で済んだのは不幸中の幸いでしたが、その事件から数日後、世界が一変して見え始めたといいます。
景色のいたるところに、数学の公式が見えたのでした。そして、あらゆる物体の中にピタゴラスの定理も。
そして、彼は、複雑で美しい幾何学図形を手だけで描ける、世界で唯一の人物となりました。
ジェイソンの他にも、プールで頭を打った後にピアノの達人になったりと、何らかの刺激で、天才的な能力が開花した実例は、けっこうあるのです。
これは、外傷を受けた脳の神経回路網が、無作為でつなぎ直されたことが原因だと考えられています。
※ ※ ※
つまり、脳内の回路次第で、誰でも天才になれる、ということです。
さて、天才にはなりたいとは思わない…という方でも、あらたな才能を引っ張り出すことは、脳を刺激することで、可能といえます。
ちなみに、「天才」を意味するジーニアスは、ラテン語で「守護霊」や「守護神」を意味するゲニウスが語源とされています。
「守護霊」とつながり直すことで、潜んでいる能力を、《思い出せる》のかもしれません。
ポイントとなるのは脳を刺激する言葉(これは安全!)。
「私の《天才》の回路よ、よみがえれ!」
でしょうか。
「《天才》になる神経回路のつなぎ直し、よろしく!」
でしょうか。
ともかくも、言葉&強い意思で脳に指令を出すことで、何かが始まるような気がします。
あと、どの分野の《天才》になるかの指令もお忘れなく!
ショパンのピアノソナタ第2番
「葬送行進曲」といえば、文字どおり、遺体を墓地まで運搬するときの行進曲ですが、日本で最もメジャーなのは、
タンタタターン、タタ、タタタタターン
(なかなか文字でメロディは表現しにくいですね)
‥‥と、死神が舞い降りてくるような、ダメージをくらって立ち上がれないときのテーマソングみたいな曲です。
誰しも一瞬で暗い気分になる、陰鬱なメロディの代表ともいえますが、そもそも、これは、ショパンのピアノソナタ第2番の一部分であり、つい最近、なんとなくですが、はじめて全体を通して聴いてみたのでした。
すると、驚きでした。
全編が力強さと叙情的な美しいメロディで彩られ、わずか一台のピアノ音の連続が、あふれる泉のように、ずんずんと耳に響いてくるのです。
第三楽章におなじみの葬送行進曲が流れますが、すぐにその陰鬱さを包み込むような、圧倒的な力と美を讃えた旋律が奏でられていくのです。
何度となく聴いていくと、ショパンがこの曲に込めた思いが想像されます。
《死神》に追い回されるような、どうしようもない時期は(想像したくもないですが!)、誰しも一度か二度はあるのではないか。
けれど「そういう時期も、あるさ」と認知することで、それは、過ぎ去っていくのではないかと。
ショパンのピアノソナタ第2番は、ざっと20分間あります。
そのうち、あのおどろおどろしい行進曲は、数十秒ほど。
ほんとにつらいときは、やさしい曲よりも、こんな曲を聴いてみるといいのかも、と思いました。
ショパンの葬送行進曲は、《死神》を呼び寄せる曲ではなく、(一度受け入れつつ)連れ去っていってくれる曲なので。
あと、やっぱり、舞い降りてきた《死神》が、じつは自分の化身であったりするのでしょうか?!
そして自分が想像する未来
たしか、小学生の頃に、図画工作の授業で「未来を想像して絵を描こう」という時間がありました。
当時のSF映画かマンガの影響か、高層ビルが立ち並び、人々が天空で生活しているような絵を、皆こぞって描いたかと記憶しています。
ところが、最近の小学生が描く「未来の想像図」は、まったく異なるのだとか。
高層ビルが立ち並ぶなんてことはなく、むしろ真逆で、緑に溢れた森のような景色の中で暮らしている、まるで縄文時代のような絵が多いのだとか。
そういうSFマンガでもあるのか(いや、知りません)、教師陣がそういう誘導をしたのか(いや、そんなこともないでしょう)、いったいこれは何の影響だろうか‥‥、と考え、まったくわかりません!
ただ、現代こそ、未来が想像しにくい時代はないのではないかとも思います。それゆえ、子どもたちは、森林浴のような、本能にとって心地よい状態を描いたのでしょうか。
ちなみに、いま僕が「想像図」を描くとすれば、進化の末に、人間たちが不自由な身体を放棄した、未来です。
「意識体」として生きることで、病気や競争、物質的な争いからも解放された世界‥‥。
ちょっと桁違いな例を出すと、地球外知的生命体は、すべてこうなっている(肉体を持たない)と言われています。
人間が意識体となり、食事やオシャレやショッピングもなくなった世界で、いったい何を楽しみに生きているのか‥‥。そういう想像を描いてみたいとも思うのです。
ただ、もはやそれは、絵ではなくなっているのかもしれませんが。
「相手」を思い浮かべて行動すること
先日は、アメリカ特有の問題を、心理学のテクニックで解決するという番組がありました。
入口に近いからでしょうか、ショッピングセンターの障害者用駐車スペースが、いつも心ない人の車で埋まってしまって、本来利用すべき人が利用できない、という問題があり、ところが、心理学者が登場し、そのスペースにひとつ新たな看板ひとつを加えるだけで改善された、という内容でした。
その新たな看板とは、車イスにのっている人の写真に、「THINK OF ME. KEEP IT FREE」と書いただけのものです。
この看板が、実際にショッピングセンターで採用されることになったかどうかはわかりませんが、改善率は100%といえるほどでした。
「この場所は○○だから、○○する」という発想よりも、「人」「相手」をイメージする方が、シンプル&イージー。
これは、けっこう応用しやすい考え方かもしれません。
以前、「もらって意外にうれしかったプレゼントランキング」というコラム記事を読んだことがあり、そこで何位かにライクインしたのが「自分の似顔絵」でした。
実際に似顔絵を贈るとなれば、絵を描くのが得意かどうかとか、誰でもできることではないのかもしれませんが、「あなたのことを思い浮かべて描きました。あなたが好きです」という、シンプル&イージーなメッセージになるのでしょうね。
いつだって、なんだって、「相手」を思い浮かべて行動することには、100%の思いが乗っかる、そう信じたいな、と思いました。
テレビドラマ『薔薇のない花屋』で
「君のやさしさは、すべて作り物だ」
と、こんなややきつめのセリフを耳にしたのは、『薔薇のない花屋』というテレビドラマでした。
言葉や行動はしばし、裏返る‥‥。
ということを実感したのは、僕が大学生時代に、学童保育のボランティアをしていた頃のこと。
根っからの子ども好きであった僕は喜んで参加していたのですが、大変だったのは、活動そのものよりも学生ボランティアを集めることでした。
まずは体験で一日、参加してもらうのですが、活動場所が遠いせいか、雰囲気になじめないのか、あの手この手で毎日のように新人さんを連れていった記憶があります。
そして、ちょっとイヤミなことを書いてしまうと、体験だけで終わる学生はきまって「また、来ます」と言い、なんだかんだ居着いてしまう学生は、何も言わないでまたひょっこり現れる、というのが常でした。
これは、日本人独得の配慮なのかもしれませんが、言葉が裏返ってしまうということがあるのだな、とも思っていました。
さて、冒頭で紹介したテレビドラマ『薔薇のない花屋』では、香取慎吾が演じる花屋の主人が、とにかくやさしい人として登場します。
そのやさしさの裏には、つらい生い立ちが隠されていて、たしかに「すべて作り物」のやさしさではあるのですが、それでも、花屋の主人は、登場する人たちすべてを、そのやさしさで包み込み、相手の人生すら変えていくのです。
出会った誰かに癒しや変化が訪れたのだから、作り物でも、本物でも、やさしさはやさしさに代わりないのではないか‥。
ドラマを作った人たちは、こんなことを伝えようとしている気がしました。
作り物のやさしさも、二度、三度、と裏返していけば、本物になってしまうのかもしれません。
時間があること
15年以上も前のことなのですが、ベトナムの田舎の村に滞在したことがあります。
ジャングルにいる仙人に会いに行く、という取材目的がありましたが、軽いマナリアのような症状で動けなくなった為でした。
当時、外国人が民間人の家に泊まることは法律で禁止されていたらしいのですが、そこは田舎ということでうまくごまかしつつ、僕は村の大家族の家で療養&居候していました。
会話は、『ベトナム語会話』と『すぐに話せるベトナム語』という本と身振り手振りでしたが、不思議と伝わるものです。
毎日、家の子たちとスコールの雨で体を洗ったり、一緒に洗濯したり、昼寝したり、基本的には朝から晩まで、のんびり過ごしていました。
子どもたちと同じく、ひたすらのんびり過ごしている大人たちに職業を聞いてみたのですが、うまく答えが返ってきません。
もっとも、ここでは毎日働かなくても食べていけるのでしょう。
米は年に三度も収穫できて、マンゴーやパパイヤや椰子の実から野菜まで捨てるほどあって、まるで食物が地面から沸いて出るような土地です。
もちろん、外国人にわからない生活の大変さもあるのでしょうが、当時の僕は、楽園とはこんなところをいうのだと心底思ったものです。
彼らと暮らしていて、ある本の言葉を思い出しました。
人間は生まれまがらにして悟っており、
また生まれながらにして煩悩などない。
滞在中、僕は彼らの親切に助けられました。でも、助けてもらってこんなことを言うのはアレですが、彼らが特別、優しい人たちでもなければ、特別な人に出会ったという気はしませんでした。
彼らには、時間があったのです。こんな村に住んでいるからとにかく暇で、何も用事がなくて、だから僕の面倒を見てくれて、泊めてくれて、いろいろしてくれたのです。
どこでどう育ったにしろ、時間があることは確実に優しさにつながる、というのが後の僕の持論となりました。
「時間があること」こそ、どんな自己啓発理論や、スピリチュアルな観念よりも、人間らしさのベースのような気がするのです。
とはいえ、僕自身も、人並みに仕事をしている以上、あの?楽園?の人たちのようにはいきませんが、人が本当に必要としているものは、ただ時間がある、案外その程度で得られるのではないかと、いま改めて思うのです。
分娩室であった畳の部屋で
中学3年生になる息子は、いまでは父親の僕よりも体が大きくなりつつありますが、14年前に生まれたときは、低体重児で、すぐに保育器に入れなければならないほどでした。
ただ、その産婦人科病院の方針で、30分間だけ、分娩室であった畳の部屋で、親子3人で過ごす時間を設けてくれました。
一昼夜の初産を終えたばかりの妻はヘロヘロで、生まれたての赤ん坊もウンとスンともいわない状態でしたが、この最初の、親子水入らずの特別な時間を、僕はいまでもよく覚えています。
おそらくタイマーで測っていたのでしょう。30分きっかりに部屋のドアが開き、さささーっと赤ん坊は運ばれていって、その後はずっと保育器暮らしとなりましたが、この30分が我が子にとって圧倒的な安心感を受け取った時間であったことは、
スピリチュアルを学ぶのであれば、
誰かのまねをしてはならない。
『ルーミー 愛の詩』より
僕が、この言葉に目にしたとき、ふと思い出したのは、なぜだか、我が子が生まれて30分間の特別な時間のことでした。
これは一見、厳しい言葉のようでありながら、人はそれぞれ、完全に固有で特別な存在であることを改めて教えてくれる言葉でもあると思います。
あなたは、誰かのまねをする必要などない存在なのだ、と。
産後の親子だけの時間は、きっと、あなたは私たちの子ども、私たちの特別な存在だと伝えるために、どうしても必要だったはず。
いま我が息子は中学3年生、勉強や遊びに忙しい日々を送っています。この先、きっと、誰の真似もしない、自分だけの生き方を選んでくれるだろうと信じています。