主人公のその後の人生を想像したとき

お盆休みの、自宅でのんびりする時期には、名作映画の鑑賞を、ということで、よく雑誌やテレビで、おすすめDVD特集などをやっていますが、「ショーシャンクの空に」が出てくるたび、僕はこの映画を、上映年である1994年の今頃の季節、20歳前の特別な状況で観たことを必ず思い出します。
それは、はじめてひとりで海外に出る前夜のことでした。僕は十代最後の夏に、北京から西安を経由して、タクラマカン砂漠へ抜けるという旅を計画していました。千葉の小さな映画館で観たのは、翌朝の成田空港発を控えてのことです。
すべて自分で決めた旅の計画にもかかわらず、不安と緊張でずっと小刻みにふるえ、この恐怖感は命を落とす前触れではないのか、行くべきではないのかと、家に帰る理由ばかりを探しているという、異常な心境でした。
そんな夜に、とりあえず頭の中を落ち着かせようと、宿を探すよりも先に映画館に飛び込んで観たのが、希望というテーマを描き切った脱獄映画「ショーシャンクの空に」でした。
主人公は、冤罪によって投獄され、腐敗した刑務所の中でも懸命に生き抜き、自由を求め行動し続けるというストーリーでした。

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中国の北京から、西安、その先の砂漠への旅は、予想どおり困難だらけの過酷なものでしたが、不思議と前夜の不安は消え去り、移動中も常に、この映画のいくつかのシーンが頭の片隅に抱きながら、旅を続けていた気がします。
そして「ショーシャンクの空に」の主人公はきっと、脱獄してからの方がほんとうは大変な人生だったのではないか、と、ささやかながら日本を<脱出>した当時19歳の僕は考えていました。
雨が降らす必要がないために、雲ひとつない砂漠の空を見上げながら、映画では描かれていないその後の主人公の人生を想像したこのとき、はじめて僕は、自分の人生において、自分が主人公なのだ、ということに気づいたのでした。

インフレーションを起こしてみる!

夏休みに入り、今頃、小学生は自由研究のテーマさがしに張り切っている頃かと思いますが、「宇宙をつくる」のもおもしろいな、と思っています。
諸説ありますが、宇宙はインフレーションという現象から始まったという説が最近、唱えられるようになってきました。
インフレーションとは、デフレの逆の、インフレのことです。とはいえ、経済のそれではなく、宇宙のはじまりの話です。
宇宙はもともと、ものすごく小さなたったひと粒の存在で、それがほんのわずかな間に、爆発的に膨張して、いまの宇宙が生成されたという現象が、インフレーションです。
それは、宇宙が誕生した10のマイナス37乗秒後に始まり、一瞬で10の43乗倍のサイズになったという、異常膨張です。
しかも、そのインフレーションが起こったのは、1秒の1兆分の1をさらに1兆分の1にして、またさらに10億分の1以下にした、とてつもなくわずかの時間だとか。
これを人間社会で例えるならば‥‥、去年の春あたりのスギちゃんの仕事量みたいなものでしょうか、いえいえ、もちろん、人間の世界では例えようもありません。
もともと宇宙とは、小さな粒だったので、理論的には、宇宙は生成可能だ、と唱える研究者もいるそうです。
ちなみに、量子物理学では「思考実験」という研究手段があります。
文字通り、実際に行わず、頭の中だけで行う実験で、ただの妄想ではなく、そこからたくさんの新発見が導き出されてきた歴史があります。
さて、ここで、僕は考えてみるのです。
この思考実験でもって、自分の頭の中に宇宙の素(もと)を置き、かぎりなく想像力を結集させて、インフレーションを起こしてみる!
そんな思考もエネルギーのひとつなので、アインシュタインのE=MC2の法則のように、それはなんらかに物質化する可能性があるのでは‥‥!
‥‥と、わけのわからないことを考えてしまっているようではありますが、けっして夏の暑さでまいってしまったわけではありません!
自分の中で宇宙をつくり、育てることは可能か‥‥、今後もこの「思考実験」を続け、このメルマガ内で、今年の夏休みの自由研究として、レポートしていこうと思います!

カオスの国インドで‥

息子が生後3ヶ月のころ、親子3人で、ネパールから北インドのブッタ生誕の地を巡る旅しました。
赤ん坊をつれてインド旅行なんて、どんなに大変だろうと思いきや、ほとんど母乳を飲んで寝てばかりで、なによりホテルやレストラン、路上のインド人たちに、バケツリレーのように抱っこされ続けたおかげで、意外なほど楽な旅でした。
いま振り返っても、なぜ生後3ヶ月の赤ん坊を抱えてわざわざインドへ行ったのか、さっぱりわからないのですが、子連れのおかげで、たくさんの現地の人たちと接することができました。
まるで自分の子のように抱きあげるインド人たちのやわらかい表情が、いまでも忘れられません。
さて、その赤ん坊だった頃にインドに連れていかれた我が息子は、いまでは12歳です。
小学生に入った頃から、一緒に遊ぶ友達が、じつに多様なことに、いつも驚かされてきました。暗い子から、知的な子、暴れん坊なタイプの子まで、じつに包囲360度の友人関係といったかんじでした。
小学生の高学年になると、派閥っぽいものができ始めるものですが、その派閥をゆるゆると横断し、我が家にはいつも誰かしらが遊びにきて、私たち親は名前も覚えきれないほどでした。
こんな子になったのは、生まれてすぐ、カオスの国インドで無数の人に抱っこされた刺激のせいではないか、となんとなく僕は思っているのです。

起死回生のアイディア「僕はここにいる」

二十歳前後の頃なので、もう二十年近く前になるのですが、友人との雑談でさらりと聞いた、誰のことかもわからないある話を、いまでもよく覚えています。
とある大学生の男子が、人通りの多い街の真ん中で、手作りのビラを配っていたという話です。
人を選ぶわけでもなく、人の視線を気にすることもなく、必死に、何百枚もあるA4サイズの紙を、通り過ぎる人に渡し続けた男がいたとか。
そのビラには、大きな文字で、ただ、自分の名前だけが書かれていたそうです。
自らの名だけのビラを、その大学生がどんな意図で配っていたのか、なにかの実験だったのか、それとも罰ゲームか、ひょっとしたら映画か何かの真似だったのか、聞いた覚えはないので、誰も理由までは知らなかったのでしょう。
その様子を想像すれば、たしかに、おかしなビラ配りではあったでしょうが、もっと勝手な想像をさせてもらうならば、消え入りそうになる自分をなんとか成り立たせるための、起死回生のアイディア、「僕はここにいる」という証のための行動だったのではないかと思うのです。
まだ、ブログもツイッターもなかった頃の話です。
その会ったこともない大学生の行動を思い出すたび、不思議と勇気が湧いてくるのは、なぜでしょう。

クラゲはクラウド活用?

水族館にいくたび、クラゲのゾーンは何か異質な雰囲気を感じるものですが、ゆらゆらと心地よさそうに生きているクラゲくんたちは、どこか生きるお手本のような気もします。
それが、最近知ったことに、そのクラゲには、脳がないのだとか。
生き物なのに、脳がない????
解説を読んだところでは、ようするに、クラゲは、考えない生き物だということでした…。
この「脳を持たない」ということを知って、ふとつながったのは最近、注目されている「クラウド」という情報技術です。
クラウドとは、簡単にいえば、いままでパソコンの中にためこんでいたたくさんのソフトやファイルをどこか遠くのサーバにまとめて置いて、インターネットでいつでもどこでも引き出せばいいじゃん!という画期的な発想です。
つまり、必要なものがあれば、巨大な図書館のようなところから、いつも引っぱればよくて、これで、荷物をもたず、自由なスタイルが実現します。
じつはクラゲも、脳を持たない下等な生き物なんかではなく、必要な情報をいつもアカシックレコード(宇宙の図書館)のようなところから引き出し、脳の外部委託を行って、なんともかっこよく生きているのではないかとも思ったのでした。
のんびり漂っているようでようでありながら、じつはしっかり意志がある、そんなクラゲのような生き方を実践していきたいものです。

ところで《反物質》って‥‥

「性格の不一致」という言葉がありますが、あらゆる人間関係や結婚生活は不一致を楽しむためにある、というような格言を耳にすることもあります。
とはいえ、宇宙の視点からいえば、楽しむというより、<そもそものはじまり>というほど、欠かせないのが、不一致だと、最近、考えるようになりました。
最新の研究によると、宇宙の創世であるビックバンは《物質》と《反物質》というものの、不一致から始まっているらしいのです。
大量の《物質》と、大量の《反物質》が衝突し、大爆発で打ち消し合い、消えずに残ったたったひとつの粒子から宇宙は生まれたという説です。
この説が正しいとすれば、不一致が生み出すものは、宇宙を生んだビックバン同様に、計り知れないレベルの創造を秘めているといえます。
やはり宇宙と同様に、その創造が現実になるまでには、ものすごい時間がかかるのかもしれませんが、「性格の不一致」で衝突し、最後に残るものこそ、人間関係で得られるほんとうの何か、なのかもしれません。
ちがうもの同士がぶつかって爆発を起こしても、その爆発は宇宙同様に美しい‥‥、そんなことを考えると、自分とちがう人との出会いこそ、本当の意味でワクワクする気もしてきます。
ところで《反物質》って、いったい何なのでしょうか‥‥。
いろんな解説を読んでも、いまだにさっぱり理解できません!

今日も地球の上に立ちながら

最近、地球の歴史に関する本を読んでいて、もしも地球に、性格というものがあるとすれば、ということを考えると‥‥
地味で、忍耐我慢強く、けっしてあきらめないお方ではないかと思っています。
宇宙にただよう塵が、引力によって集まりだして星となったのが、地球のはじまり、とされています。
それから、四十億年以上かけて、地道に生命を育んできたわけですが、その間には、想像を絶する、としか言いようがない、苦難があったことがわかっています。

あるときは、小惑星に激突されて、アンパンマンのように、顔?!が、ごっそり取れ落ちたり‥‥
あるときは、全球凍結(地球全体が厚い氷に閉ざされる)し、
と思えば、火山の大爆発で燃え出したり‥‥、また小惑星にぶつけられたり‥‥、
そして、全球凍結がさらに五、六回起こったり‥‥
もちろん、そのたびに生物の進化が、バクテリアからの出直しという、翻弄ぶりです。
まるで、荒れ地に、木を植えても植えても全滅し、それでもまた1本目から植え直すようなものです。
こうした歴史を知ると、私たち人間をここまで育ててくれた地球には、もはや感謝しかありません!
まだ機会はないですが、うちの子たちが怠慢な態度をとったときには、「地球を見習いたまえ!」と説教するつもりです。
水があり、太陽からちょうどよい距離にあることで生命を生み出した地球は、「奇蹟の星」と呼ばれているわけですが、どんな奇蹟にも、その背後に果てしない地道さがあったのではないかと、今日も地球の上に立ちながら、考えるのでした。