自分の常識だけでは判断しない

僕自身、「自分の常識だけでは判断しない」ようにすることを、ポリシーとしています。そのベースとなったのは、幼い頃からの親の教育‥‥ではなくて、二十歳前後、アトピー性皮膚炎で苦しんだ経験でした。
もともと赤ん坊の時分から皮膚の弱い子で、手足の関節あたりがいつも荒れていたのですが、大学に進学して一人暮らしを始めてから、不思議と集中的に、顔の皮膚だけが乾燥し、やげどのようにジュクジュクになっていました。
アトピーという言葉がほとんど知られていない当時でしたが、僕はこの、どうにも治らない症状をなんとかしようと、本を読みあさり、病院やセミナーに通い、これぞという治療薬を試し、あらゆる対策を講じていました。
それでも、人と会う気も失せるほどに顔は荒れ、一人で過ごしていても、かゆくて眠れず、深夜やっと眠りについても、眠りながらかいてしまって、朝起きると、顔も爪も血だらけ、という毎日でした。たまに人と会って、かけられる言葉といえば、「部屋、掃除してんの」とか「ちゃんと治さなきゃだめだよ」というもので、追い打ちをかけられるような感じでした。
自分としては、この<奇妙な>という言葉どおりの、アトピーの症状と向かい合っているというのに、どうして心まで崩れてしまうのか、と自答を繰り返したものです。
やがて僕は「孤独日記」という作品を書き始めるほど、孤独の淵にへと落ちていくのですが、運気は下がれば上がるもののようで、やがてその「孤独日記」の原稿が出版社の眼にとまり、初の出版へとつながっていきます。
今ではすっかりアトピーの症状は消えましたが、当時のこの経験を経て、僕は人にかける言葉をよく選ぶようになったし、どんな時でも人を判断するような言葉を使わず、まず相手の話を聞いて確かめるようになった気がします。
原因不明の、アトピーギリシャ語で「奇妙な」という意味)なことは、誰の身にも起こり得ることだと知ったときから、僕の新しい人生が始まりました。まるで顔から仮面がはがれ落ちるように。