最後の最後に消える原動力

文章を書いていると、いつも不思議に思うことがあります。

「これを使うために書き始めた!」といっていいほどのお気に入りのフレーズが、いざできあがって読み返すと、どうも収まりが悪く、最終的に削除しちゃうというケースが何度もあるのです。

原動力そのものが、最後の最後に、表面から消えてしまう…、というパターン。

たとえるなら、当時日本サッカーの象徴であり、予選突破に貢献したカズ(三浦和良)が、ワールドカップ本大会の直前にメンバーを外されたような感じです。

最大の功労者が、最終的な局面でいなくなってしまう、という本来ありえない事態ですが、考えるに、それもただ功労者ゆえ、なのかもしれません。
 
物事を起こし、安定とさらなる進化を産むまでに成長させた証こそが、「その場にはもう必要なくなる」ことなのでしょうか。

「本当に大切なものは目に見えない」という星の王子さまの一節も、こういう意味なのかなとも考えました。

というわけで、今回のエッセイでは、これを使うために書き始めたというフレーズは、上記のような理由でここには書いておらず。

<それ>が行間からにじみでるようなリズムの文章にすることこそが目指すべきところなのですが、そのレベルまで到達するには、まだまだ先のよう……。